Boys be ambitious in New Zealand 4 ~ビザ切り替え~

朝6時に起きて6時半に家を出る、7時から勤務開始。そんなルーティーンが体にも馴染み、NZでの続けていたラグビーの練習を毎週火、木、土曜日は試合という生活が続く。休みの日には海で釣りや、潜ってウニやアワビを獲って仲間と集まりBBQ。
NZ到着して早半年。たくさんのワーホリを見送り、やはりビザの切り替えを早めに進めておかなないとぎりぎりでのサポートを求めての転職や申請は現実難しいとたくさんの先輩からアドバイス。
セントピアーズでも半年過ぎ、アシスタントマネージャーになったタイミングでワークビザへ切り替えそこから2年の滞在が可能となった。
バカが幸いして、高校卒業からそのまま飲食業の世界で一本。調理師免許は持っていないが勤務経験や一通りの料理は教わっていたので問題なくビザも下りた。
当時家賃は週$170くらい。26歳と24歳の新婚夫婦はかび臭くバス通りが少ない場所で寒くて物も不自由ながら楽しい生活を送っていた。
土曜日のラグビーゲームで地元NZ人にボコボコにタックルされ、毎週日曜朝は全身痛くてヨチヨチ歩き。
妻の運転で朝10時半からやっている飲茶で毎週決まったメニューを注文。温かいお茶を飲みながらリカバリーしたのを覚えているな―。それでもしめてお会計$20程。
実はこの頃、セントピアーズの仕事と同時期にネットで様々な物を日本に向けて販売するビジネスもやっていた。
ラグビーグッズや小物など、特にウェットスーツは売れた。
南半球のNZは日本と四季が真逆。すなわちNZの夏が終わると日本が夏へ。冬が終わると日本が冬へと。
それに伴うサーフグッズやスノボーグッズはシーズンが終わるあたりにはセール販売している物を、これからシーズンが始まる日本へ向けて販売することで儲けいるという転売ビジネス。
Sole traderという日本でいう有限会社を作り、仕入れ、経費、利益、納税と会社の基本を体験することもできた。
わかりやすく書けば、ウェットスーツ一枚一万円で仕入れ、二万円で販売、一枚に付き一万円の利益。それが月に30枚以上も売れていた時期があったからお金には困らなかった。
この頃の仲間たちは今、ラグビーグッズの世界で日本一の会社に成長した者や、ロード・オブ・ザリング・のグッズ販売で家の頭金を稼いだ者もいて、20代の若い時代に楽しみながらビジネスを学んだ時期だったのかもしれない。
そんなこんなとNZ到着1年間は仕事にプライベート、そして新婚生活すべてが若く、自由で楽しく、可能性に満ち溢れた生活を送っていた。

はて?何しにNZに来たんだっけ?